備えと憂え倉庫

気が向いたら言わなくてもいいことを書く。

読書を記録しちゃいかんのか?

出典の名言は避けるが、年間何冊本を読んだり何本映画を観ると決めたり、記録をインターネットにのこすのに抵抗感を覚えるといった記事を読んだ。

私はそういう記録をして楽しんでいる方なので、そういう抵抗感はないのだが、彼ら彼女らからみると、気取ったダサい人種に見えるのかもしれない。

私がやたら本を読んで記録しようとおもったのは、私が記録魔であることもあるが、なんか見られてないと何も実行できないからだ。

本だって記録を見られるから読むというのは邪道かもしれないが、読まないよりは素敵なこともあるはずだし。

(自分が障害などの理由で就労をしておらず、読書や絵に打ち込むくらいしかすることがないのもあるが)「本を読まないことを誇る」のと「本を読みまくっていることを誇る」のとでは、どちらがいいのだろうか。

別に自分は誇ってるんじゃなくて、「読むから見守ってくれ」という気持ちで記録しているのかもしれない。

もう何で本を読んでいるのかよく分からなくなってきた。

むかし繋がってたTwitterの人も、「記録するために本を読むのはやめた」といっていたような気がする。

それがいやならやめてもいいけど、自分は読書記録に罪悪感を強く感じるようになるまでは、読書記録をやめないぞ、と、若干意地になってきた。